今年の冬は暖冬だ。
と言うことを冬に差し掛かる前に聞いたのは記憶に近い。だが、実際のところそれは全くのガセ情報だったようで、暖冬どころか例年以上に冷え込む日が続いていた。お陰で全国的に雪の多い冬となり、彼――宮田勇二(みやたゆうじ)の住む街も例外ではなかった。
一月のセンター試験を始め、滑り止めを含めた数回の大学入試のことごとくが雪の降る日だったことが頭に焼き付いている。ただ、幸いなことに雪が降る度に、年末に行った初詣のことを思い出して一人で幸せな気持ちに浸れる自分がそこにいた。その甲斐あってか、滑り止めで受けた数箇所の大学には全て合格している。
ただ、本命である大学の合格発表日が今日なのだ。偶然高校の卒業式と重なったために、合否を確認するのは式が終了した後と言うことになる。
「おい勇二、なーにシケた顔してんだよ。折角卒業したんだからさ、もっと明るい顔しよーぜっ?」
言いながら真っ白な歯を剥き出しにして笑い掛けて来たのは、友人の柳沢圭太(やなぎさわけいた)である。
「俺は圭太みたいにいつでも笑ってられるほど能天気じゃない。俺にとって今日は卒業よりも、合格発表の方が気になるんだよ」
圭太を邪見にして、勇二はポケットにしまってある受験番号をメモった紙を握り締める。そんな態度を取る勇二を前に、圭太は特に気にした様子も見せずに再び白い歯を見せる。
「そーだったよな。お前にとっては、今日の結果次第で春が来るかどうか決まんだもんな」
言いながら空を仰ぐ圭太の目の前をピンク色の花弁が横切る。
今年の冬は暖冬だ。
そんなことを言っていた冬だったが、前半は確かに気象庁の失態を晒されるほど寒い日が続き、全国で観測した積雪量は計り知れない。しかし、三月に入った頃、今までの寒い日が嘘のように一気に気温が上がったのだ。暦の上では三月は既に春と言えるのだが、正直この季節はまだ春と呼べるような気候でもない。その時に気象庁が発表したのが『今年の春は例年よりも早くやってくる』である。
この『春がやってくる』と言うのは暦の上で早くやって来ると言っているのではなく、実際に春と呼ばれるような気候がやってくると言う意味である。冬の時の予測が全く外れてしまったために、この発表を信用しない者が多数いたことは否めない。だが、天はそんな彼等を嘲笑うかのように早い春を送り込んできたのだ。
桜。
春の代名詞としても有名な花。この桜が咲く頃には、誰もが『春がやってきた』と感じるのではないだろうか。その春が、例年に比べて二週間も早くやってきたのである。三月頭から暖かい日が続いたために、三月の中旬だと言うのに、全国的に桜が開花してしまったのである。もちろん、勇二が住むこの街も例外ではない。
「全国じゃ桜が咲いたから春が来た、なんて言ってるけどさ。俺にとっての春はまだこれから何だから」
圭太と同じように、勇二も目の前にある桜の木を見上げる。満開には少し早いが、そうなるのも時間の問題だろう。ニュースでもやっていたが、この時期に桜が咲いたと言う記憶は勇二にはない。
「なら、その春を早く見にいこーぜ。俺も付き合ってやるからよ」
勇二の友人として、圭太は精一杯の親切を口にする。仮に落ちていたとしても、自分が傍にいれば励ましの言葉の一つも掛けてやれると言うもの。当然、合格していればともに喜びを分かちあえることは言うまでもない。だが、そんな友人の温かい言葉を勇二はあっさりと切り捨ててしまったのである。
「悪いけど、一人で見に行きたいんだよ。あとで圭太にも報告するからさ」
圭太の言葉は勇二にとってもとても嬉しい言葉だった。だが、今日は合否に関わらず、このあと彩香との約束があるのだ。偶然にも彩香の大学も勇二と同じ日に合格発表があるために、合否を確認したあとに例の神社に待ち合わせをしているのだ。圭太と一緒では、何かと厄介なことになってしまうのは間違いない。
「なーんだ。つまんねーの。折角人が親切に言ってやってるのになぁ?」
わざとらしくそんな事を言う圭太の顔は笑っていた。勇二にも何か訳があるのだろうと察した圭太は、それを深く追求することなく引き下がったのだ。両腕を頭の後ろに廻して組むと、白い歯を見せながらいつものように微笑を浮かべる。
「ね、ねぇ。宮田くん、ちょっといいかな?」
勇二と圭太がそんな会話をしていると、不意に勇二に声を掛けてくる人物がいた。呼ばれて勇二はそちらに視線を向けると、同じクラスの女子――永井祥子(ながいしょうこ)が俯き加減に勇二の方を見ている。一体何事だろうと勇二が疑問符を浮かべていると、圭太が妙にわざとらしい言葉を発する。
「さーて。勇二は一人で合否見に行くって言うし、俺は他のヤツでも誘って打ち上げでもやるかなー」
口笛までも吹きながらその場を去る圭太の行動は、何かを知っていてそれをわざとやっているようにしか思えない。だが、勇二にはその何かが分からないために、妙に腹立たしい。そんな圭太が気になったが、とりあえず目の前にいる祥子の用事を確認してみることにする。
「えっと、俺に何か用?」
同じクラスとは言え一年間だけだったし、あまり話した記憶がないためにぎこちない話し口調な勇二。もともと女子とはあまり話さない勇二なので、そもそもあまり仲の良い女子はいないのだが。
「あ、あの……わ、わたし。宮田くんのことが前から好きでした。わたしと、付き合って下さい!」
「え……えぇっ!」
唐突過ぎる告白。まさか、そんなことをいきなり言われるとは夢にも思っていなかった勇二は、あたふたしながら素っ頓狂な声をあげる。祥子としても、精一杯勇気を振り絞っての告白だったのだろうか、真っ赤にした顔は下を向いて桜の花が散る地面を見つめていた。
「いや、あの、えっと……」
女子から告白されること自体が生まれて初めてだった勇二にとって、こんな時にどのような反応をしたら良いのかが分からず。せめて心の準備をする時間があれば少しは違うのだろうが、祥子の告白は唐突過ぎる出来事であったと言えよう。
ひたすら反応に困りながらも、目の前にいる少女に何か応えてあげなければならない。勇二は数回の深呼吸のあとに考えを巡らせてみる。それはほんの数秒だったのかもしれないし、数分のことだったのかもしれいない。勇二はそれすら分からない状況の中、しっかりと自分の気持ちを伝えようと努力する。目の前の祥子には何を言ったらいいのか分からないほど申し訳ないのだが、勇二には好きな子がいる。それも、今日、その子に告白しようとしているのだ。例えその結果が自分にとって悲しい結果であったとしても、勇二はこの日に告白しようと心に決めていた。上手くいけば、大学の合格とともに自分に春がやってくるかもしれない。そう願って。
「永井さん、俺、女の子に告白されたなんて生まれて初めてで……凄く気持ちは嬉しいんだけど、ごめん! 俺、好きな人がいるんだ。申し訳ないけど、君の気持ちには応えてあげられない……」
今までに感じたことのない胸の苦しみを感じながらも、勇二は自分の素直な気持ちを伝える。だが、そんな勇二の素直な言葉も、確実に彼女の心に傷をつけてしまったことは間違いない。半分泣きながら言ってきた祥子の依頼を、胸を締め付けられる想いで応えてやる。
「最後に……一緒に写真撮ってくれるかな?」
その彼女の言葉は、しばらくの間勇二の頭の中に焼きついて離れなかった――。
「彩香、早くこっち来て!」
クラスメイトでもあり、友人でもある緒方尚美(おがたなおみ)に呼ばれて、笹波彩香(ささなみあやか)は小走りになってそちらに向って行く。無事に卒業した記念に、仲良しな女子が集まって記念写真を撮っているところだった。
「あれは宮田くん?」
そんな時に、ちょうど視線の先に勇二の姿が映っていた。なにやら、女子と一緒にツーショットの写真を撮っているところのようだ。寄り添いながら撮影している姿は遠目からであまり分からないが、彩香の目には仲が良さそうに映っていた。
「宮田くん、あの子と仲が良いんだ……」
女子とツーショットを撮るぐらいなのだから、もしかしたら二人は付き合っているのかもしれない。少なくても彩香の心には、二人の関係はそんな風に映っていた。
「私には関係ない、っか」
すぐさま気持ちを切り替えた彩香は、クラスの女子とともに満面の笑みを浮かべて記念写真を撮ったのだった――。
祥子の言葉が未だ頭から離れていない勇二だったが、今は気持ちを切り替えて合否を確認するために掲示板の番号を目で追い掛ける。ポケットにしまいこんだ受験番号をメモった用紙には一切目をくれずに確認する勇二の頭には、自分の受験番号が焼きついていた。
『1231』
自分の受験番号がこの番号だったことは偶然なのだろうが、これは何か良いことが起きる前触れのような気がしていた。その数字の並びは、年末、大晦日に彩香と一緒に約束を交わした日と同じなのだから。
何であれ、勇二はゆっくりと掲示板の受験番号を追いながら、自分の番号が記されていることをしっかりと確認する。もともと推薦で受験したことだったし、それほど背伸びして受けた大学ではなかったために、正直なところあまり落ちる気はしていなかった。ただ、厄介だったのは、今年から導入された英語の『リスニング』である。英語は苦手分野ではないのだが、聞き取りが苦手な勇二にとっては、不安要素として上げられるものの一つとなっていた。
「ま、結果的に合格出来たんだから、ただのネタにしかならないんだけどね」
自分の受験番号を掲示板で発見することが出来た勇二は、誰にともなく独り言をつぶやく。表情こそ穏やかなものだが、内心は不安がちらほらしていた勇二。彼が口にしたように、結果的に合格することが出来たのだから、ただの笑い話で済んでしまうことだった。
「さて……俺なんかより、笹波さんがどうなったかが一番重要なんだよなぁ」
この場にはいない少女の顔を浮かべながら、勇二はまるで自分のことのように胸の鼓動を早くさせていた。彼女のことを考えたのも理由の一つだが、彼女が本命の大学に無事に合格出来たかどうか、それが心配でならないのだ。
「彼女が喜んでる顔、見れると良いなぁ」
彩香の合否のことを、今一人で考えていても答えはでない。結果は、彩香に会えば全て分かることだ。約束の時間まではまだ少しあったが、どこかで時間をつぶせるほど勇二の心に余裕はなかった。今はただ、彼女の合否だけが気になり、一足先に約束の場所――大晦日に二年参りを行った神社へ足を向けることにした。
前に来た時とは打って変わって暖かいことに、季節の移り変わりを実感しながら、勇二は一人でそこにいた。突然暖かい陽気になった所為で、勇二の高校では桜の花が咲き乱れていたが、この神社も例外ではない。同じ街にあるのだから当たり前のことと言えばそれまでなのだが。
「ここの桜の方が満開に近いのかな?」
神社にある一番大きな桜の木に寄り掛かりながら独り言を口にする。年末に圭太たちと待ち合わせた場所もこの桜の木の下だったことを思い出し、季節と時間が違うとは言え、まるでタイムスリップしたような錯覚になる勇二。そう言えば、皆でお参りに行こうとした時に、一人残された自分に対して祥子が声を掛けてくれたことを思い出す勇二。今思えば、祥子はずっと自分の事を見ていたのだと実感する。卒業式後の圭太の行動を考えると、もしかしたら祥子が勇二に気があることを知っていたのかもしれない。だから、年末に勇二と祥子の二人を誘ったのではないだろうか?
あくまでも勇二の推測にしか過ぎないのだが、今思うとそれは合格点に達している回答のような気がする。
「告白されたのなんて初めてだったもんなぁ」
祥子に告白された時のことを思い出して、今更ながら気持ちが昂ぶってくる自分がそこにいた。もしも、大晦日の日に彩香となにもなくて、自分があのまま圭太たちと一緒に過ごしていたならば、今日の祥子の気持ちに応えられていたのかもしれない。祥子は大人しい性格だが、クラスでも良い子で通っているし、女友達が多かったことを今更ながら思い出す。正直あまり意識したことはなかったが、嫌いなタイプではない。
「あー、もう、何でこんなこと考えてるんだろ、俺。これから笹沼さんに会うって言うのに」
「私がどうかした?」
勇二がそんな呟きを口にしていると、突然声を掛ける人物がいた。先ほどまで誰もいなかった場所から突然声が掛けられたものだから、勇二は飛び跳ねるように驚いてみせる。
「さ、笹波さん!」
声のした方へ視線を向けると、今自分が口にした少女の姿がそこにあったものだから、尚更驚かずにはいられない。前にもどこかであったような展開に、自分の学習能力がないことを実感しつつも、勇二は何とか気持ちを落ち着かせる。そして、覗き込むようにこちらを見つめている少女――彩香を睨みつける。
「あんまり驚かせないでよ。俺、こう見えても小心者なんだから!」
「ふふふ。ごめんなさい。別に驚かせるつもりはなかったの。ただ……」
勇二に睨まれても、表情一つ変えずに彩香は謝ってくる。そんな彩香は何やら語尾を濁らせて、あとの言葉を口にするのを躊躇っているような感じがした。割と物事をはっきりと口にする彩香にしては珍しいと思いながらも、勇二は彩香から視線を外す。彩香をあまり直視していられないと言うこともあったが、今の自分の独り言をどこから聞いていたのかが気になってしまう。仮に、告白されたのが初めてだと言うことを聞かれていたとしたら、これから自分が告白するのが気まずく感じるのは、勇二が小心者だからなのだろうか?
「それにしても、凄い綺麗。桜、もう満開ね」
自分が濁らせた語尾を続けるつもりはないのか、彩香は突然話題を変えてきた。それとも、勇二に続きを聞き返してきて欲しかったのだろうか。相変わらず表情を変えない彩香からそれを窺うのは難しいことのようだ。彩香がこんなにも表情を変えない子だっただろうか、などと疑問符を浮かべながらも、勇二は軽く返事をする。
「まだ三月だって言うのに、こんなに桜が咲くなんて可笑しな話だよ。今週末が一番の見ごろかもね」
棒読み、とまではいかないにせよ、勇二はあまり抑揚のない口調で応えていた。既に先ほどの自分の独り言が聞かれていたかもしれないことは、どうでもよくなっていた。そんなことより、彩香のこの変わらない表情の方が気になってしまう。表情が変わらないとは、逆に言ってしまうと、あまり浮かない顔をしているとも取れる。何か、笑顔を浮かべられない理由がある。それは即ち――。
「ねぇ、私ね……」
勇二がそんな様々なことを考えていると、彩香が数歩前に踏み出した。一歩、そしてまた一歩。足取りはゆっくりで、どことなく慎重に前へ進んでいるようにも感じられた。桜の木の下にいるために、ヒラヒラと薄紅色の花が勇二の目の前を舞う。今はそれさえも鬱陶しく思いながら、勇二は無言で彼女の背中を見つめていた。
すると、不意に彩香は勇二の方へ振り向き、右手を前に差し出してヒラヒラと舞う薄紅色の花を掌で捕まえていた。ゆっくりと閉じた掌を開くと、そこには一片の桜の花弁が彩香の掌に存在していた。
「私、掴んだよ。雪は手で掴めなかったけど、桜の花弁は掴めた。志望校の合格も、しっかりと掴んだよ!」
そこで、今日初めて彩香の表情が変わった。今まで表情がなかったのが嘘なぐらいに、満面の笑みを浮かべて桜の花弁を掌で握っていた。それと同時に、勇二の中にあった不安が一気に外に開放された。まるで桜が開花し、満開にしたかのように勇二の気持ちも晴れていた。
今なら言えそうな気がした。ずっとつぼみの中に閉まっていた自分の気持ち。今日ここで、彼女に伝えようとしていた気持ち。
そう思った瞬間に、勇二は意を決して数歩前に踏み出していた。彩香が辿った足取りと同じようにゆっくりと、慎重に前へ進む。それはまるで、自分を見失わないようにしっかりと前を向いて歩いているようにも思えた。
「俺も……無事に合格を掴んだよ。笹波さんの祈りが叶ったのと同じで、俺も春から念願の大学生。でも、もう一つ掴みたいことがあるんだ。実は俺、初詣の時、受験合格じゃないことをお願いしたんだ」
人に告白されたのも生まれて初めてだったが、人に告白するのも生まれて初めてのことである。告白すると言うのは、こんなにも緊張することなのかと実感し、祥子の気持ちが多いに伝わってくる。不思議そうな顔でこちらを見ている彩香に構うことなく、勇二は再びもう一歩足を踏み出し、桜の花弁を乗せた彩香の掌を、両手で包み込むように掴んで一気に言葉を言い放つ。
「俺、笹波さんのことが好きだ! 俺と、付き合ってくれ!」
言った後、勇二の頭は真っ白になっていた。勢い任せに告白してしまったが、思わず大声で叫ぶように告白してしまったことは恥ずかしいことこの上ない。近くに人がいないから良いようなものの、もしかしたら見えない場所で誰かが聞いていたかもしれない。そんなことまで考えると、勇二は何も考えられなくなってしまった。
今にもこの場から逃げ出したい気持ちになりながらも、相手の返事を待たずにそれをやってしまっては、告白した意味がなくなってしまう。思わず手を握ってしまったことに後悔するが、今更この手を離すようなことは出来ない。この手を離したら、何だか目の前の少女が自分から離れてしまいそうな気がした。このまま掴んで、離さないでいられたら何て幸せなのだろう。
「ごめんなさい……」
だが、勇二のそんな気持ちは、彩香の口から告げられたその一言に、脆くも崩れ去ってしまった。彩香の口がその言葉の形に動いた瞬間に、勇二の身体全体の血の気が引いていく。自分でも面白いようにそれが分かる。
自分の事を好きな子を振るのも辛かったが、自分が好きな子に振られるのはもっと辛い。普通ならば一度に体験出来ないことを、勇二は一日のうちに両方を体験してしまったのだ。
「あ、べ、別に謝らなくても、いいんだ……」
半ば、こうなることは予想していたとは言え、いざ実際にそうなってみると予想以上のショックが自分を襲ってくる。その所為か、思うように言葉が浮かんできてくれない。未だに彩香の手を握っていることに気付いた勇二は、慌ててそれを振り払う。思わず乱暴に振り払ってしまったことを気にしながらも、今は彩香に視線を向けることが辛かった。そのため、彩香には背中を向けて、桜の木の幹に視線を固定させる。
「私、彼女と仲良く写真を撮ってるところを見ちゃったの。二人の仲を、壊したくないから。だから、ごめんなさい……」
すると、彩香は勇二の背中に向って、返事の続きを言葉にしたようだ。一体何のことだか分からなかった。視線を桜の幹から次第に枝の方へと移していくうちに、不意に勇二の頭の中に思い至る節が浮かんでくる。勇二は大袈裟に振り向いて、再び大声で言葉を紡ぎだす。
「えぇっ! それって勘違い! 俺、彼女なんていないし、あの子と写真撮ったのは、彼女へのお詫びのつもりで……」
思うように言葉が出てきてくれないが、精一杯に彼女――祥子とツーショットを撮ったことは、付き合っているからではないことを告げる勇二。なぜそのことを彩香が知っているのかは分からないが、あらぬ勘違いの所為で振られたのではたまったものではない。賢明に弁解する勇二の表情を見て、彩香は困惑しているようだった。自分が見たものは勘違いで、あの子とのツーショットはお詫びだと、勇二は言っているようだ。
「俺、あの子に告白されたんだ。生まれて初めてのことで気が動転したんだけど、って俺なに言ってるんだ!」
聞かれてもいないことを次々と口にする勇二の慌てぶりは愉快と表現しても差し支えなかった。彩香は困惑しながらもそんな勇二を見て、小さな笑いをこぼす。
「ふふふ、宮田くんっておかしい」
「いや、だから俺は好きな子がいるからって、あの子とは付き合えないって断って! そりゃ、女の子に告白されることなんてもうないかもしれないって思ったけど、やっぱり本当に好きな子と付き合えた方が嬉しいだろうなって……」
微笑を浮かべる彩香に、勇二はさらに言い訳のような言葉を次々と口にする。このまま放っておくと一から十まで話してくれそうで楽しそうだったが、彩香にそんなつもりは微塵もない。彩香は彼女なりに自分の気持ちを伝えてみることにした。
「私も、男の子から告白されたのは初めてだよ。私も、どうせ告白されるなら、本当に好きな人から告白されたら嬉しいな、って思ってた」
今まで慌てふためいた表情をしていた勇二だが、彩香の言葉を耳にした瞬間に、豆を食らったハトのような顔に変わっていく。そんな勇二の表情の変化を楽しみながら彩香は続けた。
「でも私、今好きな人いないんだ。心に決めた人もいないけど、宮田くんなら良いかなって思ってた。大晦日にたまたま会った時にそんな気持ちになったの。こんな気持ちの私で良ければ、是非付き合って下さい」
礼儀正しくお辞儀をしながら返事をする彩香とともに、桜の花弁が辺りに舞い散った。それは、勇二に春の彩が訪れたことを香らせる合図のようだった。妙な返事とは言え、彩香自身からも勇二への告白をしたと言えようか。
「あ、いや、俺は……。笹波さんが本当に好きな人が、俺になるように頑張るよ!」
勇二の気持ちは、嬉しいを通り越して舞い上がっていた。自分でも何を言っているのか理解していない。告白した時からずっと頭の中が真っ白のままだ。ただ、これだけは確実に言える。
「俺も笹波さんも、幸せの花弁を掴んだんだよね。四月からは、二人で揃って春を迎えられるんだね!」
「うん。お互いが笑って春を迎えることが出来るね」
勇二の言葉に、彩香は満面の笑みを浮かべて微笑む。大晦日――いや、その時はすでに日付が変わっていたので、元旦と言うべきか――に願掛けしたことが、ともに叶ったことが何よりも嬉しかった。
実は、 彩香が願掛けしたことは二つあったのだ。一つは勇二にも告げたように志望校に合格すること。そしてもう一つは、勇二と仲良くなれるように、と。
「ところでさ、笹波さんはどこの大学を受けたの? 今日が合格発表の大学って、確か二校ぐらいしかなかった気がするんだけど……」
勇二が彩香にそんな問い掛けをするが、実は彩香もそのことが気になっていたのだ。頭の良い勇二のことだから、彩香とはレベルの違う大学を受けたことだけは間違いなかったが、勇二も言ったように今日合格発表の大学は二校しかないはずだ。まさか、などとは思いながらも、彩香はゆっくりと口を開いた。
「彩香って呼んでくれていいよ。私も勇二くんって呼ぶから。大学だけどさ、合格した学校を同時に言いっこしない?」
今から付き合うことになった二人なのだから、名前で呼び合ったところで何ら不思議なことはない。妙に照れる気がしたが、名前で呼び合うことは凄く嬉しいことだ。
「えぇっ! あ、で、でもそうだよね。俺たち今日から付き合うんだもんね。笹波さん……じゃなくて、彩香、さん」
「ふふふ。彩香でいいって。さん付けは変だよ。それじゃ、せいので言い合おうね」
顔を真っ赤にしながら彩香の名前を呼ぶ勇二に苦笑しながらも、彩香自身もむずがゆさを感じていた。今までなんでもない相手だったのが、突然親密な関係になることに抵抗を感じるのだ。
「うん。それじゃ、せーの……」
同時に、二人の口は全く同じ動きで開いていた。そして、声の低い高いはあるにせよ、同じ発音でその名を呼んだ――。
互いに別の方向からそこを目指し。
最後には同じ道に辿り着く。
あの時、お互いに確認をしていたならば、同じ方向から同じ道を目指したのかもしれない。
だが、互いに別の方向から同じ道に向っていた二人は、互いの支えがあったからこそ、同じ道にたどり着いたのではないだろうか。
そのお陰で、今度は同じ方向から同じ道を歩むことになる。
奇跡と呼ぶには大袈裟過ぎるかもしれないが、二人の努力の結晶がその奇跡を生み出したのではないだろうか。
そして、二人は同時に幸せの花弁を掴んだのである。
〜 fin 〜