ミッション3『渚のパートナー』
第一回

「にしても、ここまでヒマとはな。しかも、んだよこの暑さは?」
 うちわなどと言う、この時代には原始的過ぎる夏の涼みグッズで煽りながらアドはうわ言のように呟く。朝からこれしか言っていないアドは、まさに暇人の極みである。腕まくりしたTシャツはいつも通りながら、こんな時でも左腕にしばりつけてあるピンク色のハンカチは彼には不釣合い過ぎる。
「今年の暑さは尋常じゃないですね。ここまで暑いと、仕事があっても面倒になりそうですよ……」
 アドに釣られるように呟きながら、ギュゼフは扇風機の前でうなだれる。貧乏なことで知られているこのL地区支部には、残念ながらエアコンなどと言う高級機器は設けられていない。あるのは原始的なうちわと、旧式の扇風機ぐらいなものである。それ以外に涼む方法と言えば、実費になってしまうがアイスなどの冷たいものを購入する以外にない。
「そんなに暑いかい? 俺はこれぐらいじゃなんともねぇけどな。気合いが足りねぇんじゃねぇかい?」
 この暑さの中、長袖を着ているという常識では考えられない服装をしているショウは、能天気にケラケラ笑う。元々ショウは変わり者だとは思っていたが、アドたちが思っている以上に変わり者なのかもしれない。この暑さの中長袖でいても、汗一つ出していないことがそれを物語っている。
「ショウ、そんな格好でよく暑くないねー。あたしもうげんか〜い。服、脱いじゃいたいぐらいだよー」
 いつものようにキャミソール姿のリスティが、手をパタパタさせながら呟きを漏らすが、それを聞き逃すショウとギュゼフではない。ほぼ二人同時と言ってもいいぐらいに二人の視線はリスティに釘付けにされていた。さすがのリスティにもその視線が嫌なものだと分かったのか、再び手をパタパタさせながら弁明する。
「ヤダな。ホントに脱ぐワケないじゃん。いくらあたしだって、そんなことしないよ?」
 舌を出しながら微笑むリスティの表情に、ショウとギュゼフは一瞬だけだが気温が1、2度上昇したような気分になった。実際には、彼ら自身の体温が上昇しただけなのだろうが。
「バカ言ってんじゃねーよ。んなに脱ぎたきゃ3人でプールにでも行けっての」
 アドは呆れたように突っぱねるが、そんなアドの言葉が引き金となり彼らの目が生き生きしたものへと変わっていく。
「そいつぁ、いい考えじゃねぇかい? プールに行けば、水着姿のねーちゃんたちがワンサカいるってワケかい」
「私はそんな不純な動機でプールに行こうなんて考えませんよ。決して、アンちゃんの水着姿が見たいなんてこと……!」
 ショウとギュゼフとでそれぞれの反応を見せるが、そんな彼らの素直な反応は見ていて楽しいものを感じさせる。アド自身も意図して『プール』と単語を口にしたワケではなかったのだが、正直悪い単語ではなかったと自覚する。
「いっそのこと、ホントにプールにで行ってみるってのはどうだ? 暑さも吹っ飛ぶんじゃねーか?」
 我ながら名案だと腕を組みながら一人頷くアド。この暑さの中、ろくに仕事もないのにエアコンもないビルの事務所にいても、何もいいことはない。仕事があるならまだしも、なにもなければ給料ですら入ってこない。そんなことが数日続いている。
「たまにはアドも良いこと言うね。そうしようよ。皆でプールに行こ! あたし、泳ぐのなら得意だから大丈夫だよん」
 一体何が大丈夫なのかは分からなかったが、リスティは乗り気であった。普段ならばそれほど乗り気にはならないのだろうが、この暑さの所為と、リスティの特技が水泳であることがその理由と言えようか。仮に、リスティが泳げなかったとしても、恐らくアドの意見に賛成をしていたのだろうが。
「そうと決まれば、善は急げですね。早速、プールに行きましょう。ヘッダースタジアムなら大きいから、そう簡単に満員にならないでしょう」
 多目的スタジアムとして名の知れているヘッダースタジアム。これが本当にどこまで多目的に作られたのかは不明だが、ありとあらゆる施設が揃っている優れものだったりする。とは言え、実際のところプールが出来たのはごく最近の話なのだが。たしか今年開設したばかりで、この夏の人の集まるスポットとなっているようだった。まさに、今年の暑さに合わせて開設したような、絶妙なタイミングでの開設と言えよう。
「揃いも揃って、何の話をしているのだ? この暑さだ。どこに行っても同じことだろう」
 アドたちがそんな会話をしていると、上のフロアから降りてきたL地区支部のボスが姿を現す。相変わらず腹が出ており、少し禿げ上がった頭は実際の年齢よりもかなり上に思わせることは否めない。いつものように、地面を引きずるような独特な歩き方は、普段歩きなれていないことが丸見えである。
「あ、ボスー。あのね、あたしたち暑くてガマン出来ないから、今からプールに行こうと思ってたんですよー。どうせ仕事ないから別にいいでしょー?」
 ボスの前でも、多少意識した口調で話しているものの、あまりいつもと変わらぬマイペースのリスティ。何の捻りもなく成り行きを話す辺り、リスティのバカ正直――もとい、素直さの表れである。
「そうか。それならば調度良い。どうせ行くなら、プールよりも本場の海の方が楽しいのではないか? 奇遇なことに、ここにK地区海岸前のホテルのチケットがある。良ければ、君たちで行ってきたまえ」
 言いながら実際の腹のように太っ腹なセリフを口にしたボスは、手にしたパンフレットとともに数枚のチケットを見せ付ける。無言でそれを受け取ったアドは、簡単にそれに目を通してみる。パンフレットには大きくK地区海岸の写真が掲載されており、キャッチフレーズとともにK地区海岸の紹介がされているようだった。そして、一緒に貰ったチケットには、そのK地区海岸の目の前にあるホテルの招待券を意味する文字が書かれていた。


 いつものように軽快にハンドルを握りながら、アドは独り言のようにつぶやく。
「にしても、何で助手席に座ってんのがこいつなんだ?」
 わざと聞こえるように口にするが、助手席に座っている人物からの反論の言葉はないようだ。いつもならば、何かと口うるさいリスティの言葉が返ってくるのだが、幸か不幸か今助手席に座っているのはリスティではない。ただ、リスティとどちらがいいかと問われたら、回答するまでにしばらく思案する時間が欲しいような、そんな相手である。
「ま、オレが何言っても聞こえてねーんだろうけど」
 普通なら、どう考えても何か一言ぐらい返してきてもおかしくはないのだろうが、助手席に座っている人物にそれを期待するのは酷と言うもの。なぜならば、今アドの横に座っているのは、口うるさいリスティでもなければ、妙に突っかかってくるショウでもない。はたまた、必要以上にリスティのことを聞いてくるギュゼフでもない。今、アドの横に座っている人物とは、他でもないウエストなのである。どんな時でもパソコン画面に視線を向けている姿しか見たことのないこのウエストは、今も類を見ることなくパソコン画面に視線を向けている。車に乗っている時ぐらいはやめて欲しいと思うのがアドの本心だったが、ウエストがそんなことを聞くはずもなく。そもそも、パソコン画面に向っているウエストに話し掛けたところで、何を言ってもムダなだけなのだが。
 ボスからチケットを受け取ったあと、結局みんなの意見が一致してK地区海岸に行くことになったのだ。あの暑さの中、反対する人物がいる方が可笑しな話である。それも、タダでホテルに泊まれるとなれば尚更のことだ。だが、そんな会話の中、ショウ一人だけが急に反対意見を口にしたのである。プールにはあれほど行く気だったショウなのだが、海の話をした瞬間に態度が変わったのだ。まさか、泳げないなどと言うことはないのだろうが、あからさまに態度が変わったことに関しては、気にならないと言えばウソになる。
だが、正直人の意見に干渉する意味も権利もなかったために、アド自身は止めもしなかった。リスティが妙に突っかかっていたようだったが、ショウが面倒臭がるようにその場から去ってしまったことで、それも何事もなかったかのように解決してしまった。そこまでは、正直アドにとってはどうでも良いことだったのだが、そのあとが問題だったのである――。

「ショウが行かないんなら、あたしはギュゼフと一緒に行こうかなー」
 アドとギュゼフを交互に見比べながら、リスティは呆けたような表情で言った。ギュゼフを選んだ理由としては、単にアドと一緒に行くのがイヤなだけだったのだろうが、指名されたギュゼフとしては願ってもないことでだっただろう。
「んでオレの方を見んだよ。始めっから、オレはお前と一緒に行くつもりなんてねーっての」
 大きく肩をすくませながら、アドは妙に安心したような表情を浮かべる。いつも口うるさいリスティと一緒にドライブなどと言う気分にはなれなかったのだろうが、本人から拒否されたのだから好都合だった。
「私と一緒に行っても構わないけど、私は電車ですよ? レオンやカツのように自家用車は持ってないから」
 涼しい顔で言うが、うちわを煽りながらそんなことを言っても、あまり格好はつかない。そもそも、別に格好をつけるつもりはないのだろうが。
「いいよー。あたし電車の乗るの好きなんだ」
 手で顔をパタパタ仰ぎながら、リスティは満面の笑みを浮かべる。ギュゼフにとっては、これ以上とないチャンスが訪れたと思うしかないだろう。前回はショウに先手を取られてしまったが、今回そのショウはいない。アドは自分の車で現地まで行くのだろうから、二人きりで旅行に行くような気分になれるワケだ。
「それならば話が早いですね。それじゃあ、一旦家に帰ってから駅前で待ち合わせましょうか」
「うん、分かった。K地区はあたしの生まれ故郷だから、田舎に帰るみたいだなー」
 言いながら、ギュゼフとリスティは仲良さそうにアドの前を後にした。一人残されたアドは、去っていった二人に溜息をつきながら自分も出掛ける準備をするために、一度家に帰ることにする。そう思い、執務室から退出しようとした時だった。妙に背後から嫌な気配がして、それと同時にボスの口からとんでもない言葉が紡ぎだされたのである。
「おい、レオンブルーくん。フェイズィくんも一緒に連れて行ってやりたまえ。君の車は、二人ぐらいは乗れるのだろう?」

 アドは数時間前のことを思い出しながら、一人でムシャクシャしていた。助手席に座っているウエストは、当然先程からずっと無言でパソコン作業に勤しんでいる。恐らく、このままの調子で現地に着くまで会話をすることはないのだろう。もしかしたら、現地についてもそのまま画面に視線を向けていそうな勢いである。
「ま、一人でドライブしてると思えば、何でもねーか。気にしないのが一番ってな……」
 一人きりではないはずなのに、独り言になっている自分が妙に虚しかったが、開き直ったようにアドはアクセルを踏み込んだ――。


 先程までの暑さがウソのような快適さを満喫しながら、ギュゼフとリスティは楽しそうに会話をしていた。一度家に戻り、簡単に荷物をまとめたあと駅前に待ち合わせた二人は、タイミングよく来た特急列車に飛び乗り、上手い具合に座席に座ることが出来たのである。この特急列車に乗ってしまえば、あとは乗り換えは一切せずに、勝手にK地区海岸前まで運んでくれる。とは言え、K地区までの距離はそれなりにあるために、数時間乗らなければ行けないのだが、それほど苦に感じることはないだろう。特に、ギュゼフにとっては。
「良かったよねー。特急に乗れて。涼しいし、速いし、言うことなしだね。今度から、実家に帰る時はこの特急に乗ろうかな」
 満面の笑みを浮かべながらリスティは手にしたパンフレットに目を落とす。まるで恋人気分を味わいながら、隣に座っているギュゼフも嬉しそうな表情で彼女が手にしたパンフレットに目をやる。
ボスから貰ったそのパンフレットには、K地区海岸の綺麗な海をバックに水着姿の若い女性がポーズをとっている写真が載っている。『泳ぐならK地区の青い海で♪』などと言うキャッチフレーズなどよりも、大抵の人ならば――と言うより、大抵の男ならば水着姿の女性に目が行ってしまうことだろう。抜群のプロポーションのモデルの女性は、際どい水着を着用しているのだが、どう見ても撮影用の水着であることはあからさまだ。こんな水着を着ている女性を期待して海岸に行くものはスケベ親父ぐらいなものだろう。
現に、それに目をやっているリスティもギュゼフもそんな水着の女性には全く興味はない。そのバックにある、太陽の光でキラキラと輝いた海の方が余程興味をそそると言うもの。
「アンちゃんはよくこの海岸で泳いでたの? 確か、K地区出身でしたよね? 泳ぐのも得意みたいだし」
 さすがのギュゼフも、前に彼女のことを調べた時に得た情報がこんな時に役に立つとは思わなかっただろう。上手い具合に会話を進められることを嬉しく思いながら、パンフレットからリスティへと視線を移す。
「うーん、そうだね。ちっちゃい頃は良くここでも泳いでたかなー。でも、あたしあんまり海では泳がないんだよね。水、しょっぱいから苦手なんだー」
 何の疑いもなく、思ったままのことを口にするリスティは相変わらず素直で可愛らしい。苦手と言うのを強調するかのように、小さく舌を出す仕草など、ギュゼフにとってはたまらないポーズではないだろうか。
「そうなんだ。でも、アンちゃんなら海も似合うと思いますよ。たまにはこうして遊びに来るのもいいんじゃない?」
 もちろん、私と一緒に遊びに来ることが前提ですが。と胸中で付け加えておく。流石のギュゼフも、そこまでは口に出して言えないようだ。あくまでも冷静に、浮き足立つような言動は慎まなければならない。
「うん、そうだね! 今度またお休みが貰えたら皆で来ようよ!」
 リスティは相変わらず子供のような笑みを浮かべて嬉しそうにする。実際の年齢では、リスティよりもギュゼフの方が一つだけ年下なのだが、これではどちらが年下なのかが分からなくなってしまう。見様によっては、仲の良い兄妹に見えなくもないのだが、傍から見ればやはり恋人同士だと考えるのが一番妥当な組み合わせと言えるだろう。
「それにしても、この胡散臭いホテル。どうにかならないものですかね……」
 リスティが持っているパンフレットを裏返しにして、今回自分たちが泊まることになるホテルの案内に目をやりながら、ギュゼフは溜息をつく。
「なんで? すっごいホテルじゃない。K地区でも、こんなに凄いホテルはあんまりないよ?」
 どう見ても高級ホテルにしか見えないその写真を見て、リスティは素直な感想を口にするが、ギュゼフは再び溜息混じりに口を開く。
「アンちゃんって、本当に何でも信用するんですね? 信じることは良いですけど、たまには疑うことも必要ですよ」
「あー、ギュゼフまでアドみたいなこと言わないでよー。アドにいっつも言われるんだよ、お前は人を信用し過ぎる。もっと疑うことを覚えろって。いいじゃん、人を信じることは大切だと思うよ」
 両頬をフグのように膨らませながら拗ねるリスティの表情はまさに子供のそれだった。ギュゼフは、そんな駄々をこねる妹――ではなく、仕事の同僚に言い聞かせるようにゆっくりと丁寧な口調で話を始める。
「本当にこんなに凄いホテルに泊まれると思いますか? 考えても見てくださいよ。あんなボロビルしかないL地区のどこに、こんな高級ホテルに泊まるだけの予算があると思うんですか? これは合成写真か何かですよ。でなきゃ、こんな凄いホテルに泊まれるはずがないでしょ。せいぜい、海の家クラスの民宿に泊まれるのが関の山でしょう」
 一気にそこまで言い放つと、リスティはきょとんとした表情を浮かべてギュゼフの方へ視線を向ける。どうやら、一気にたくさんのことを言った所為で頭が混乱してしまったのだろう。小首を傾げながら何かを考えているようだ。
「まぁ、とにかく、ホテルのことはどうであれ、折角のバカンスを思い切り楽しもうじゃありませんか」
 嫌な空気を悟ったギュゼフは、場を和ませるために何とかリスティの意識を楽しい方向へと向けさせるように努力する。だが、リスティにはそんな余計な気遣いは必要なかったらしく、先程までの困惑した表情はすっかり消え去り、満面の笑顔で返事を返して来た。
「うん。そうだね! 海なんて久しぶりだから楽しみだよ!」
 そんなリスティの表情からは、先程の困惑は一切忘れ去られているようだった――。


    

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