ミッション4 『新任班長』
第二回

 病院の雰囲気はあまり好きではなかった。自分が病院の世話になった事は極めて少ない回数である為、苦手意識がある訳ではない。一部の男性によっては、病院は『白衣の天使』がいる聖地として好まれる事があるようだが、彼女にとっては下らない戯言である。友人に看護婦がいるのだが、そんな妄想を描いてわざと入院して来る者も時折いると言う。それこそ、愚かな考えであって、自分から好き好んで入院する男の気が知れない。病院と言うのは、健康上やむなく行かなければいけない時と、健康上やむなく入院を余儀されなくなった時ぐらいにしか世話になる必要がない場所だからだ。
「病院のこの雰囲気と匂い……どうにかならないのかしら。特にこの匂い……小学校の時の注射を思い出すわ」
 言いながら彼女――シャーリー・ハウトは、顔をしかめながら鼻腔をくすぐる薬の匂いを手で追い払う仕草をしてみせる。
シャーリーは病院の雰囲気はあまり好きではなかった。その理由は一つで、学生時代に経験した注射の痛さを思い出すと言う、子供じみた理由だった。大きな丸メガネが彼女を子供っぽく見せているが、どうやら性格までもが子供に近いのかもしれない。
「205号室……ここ、ね」
 ロビーで確認した部屋番号と照らし合わせながら、一人呟くシャーリー。彼女は、ある人物に会うためにここ、I地区総合病院にやって来ていた。幸い、B-Fog I地区支部のビルと自宅の通り道にあったために、仕事帰りに立ち寄る事が出来る。夏も終わりだと言うのに、ここ最近は暑さが増すばかりだ。夏の日差しは女性にとっては天敵であり、彼女にとっても例外ではない。外に出る時は日焼け止めのファンデーションを塗っているし、身体の露出した部分にも日焼け止めクリームを塗る事を忘れてはいけない。そこまでして肌を露出する必要があるのかと問われれば、シャーリー曰く『女性にとっては夏と言うのは少しばかり大胆になれる季節』なのだそうだ。
「失礼します。サナダ班長、起きてますか?」
 小声で部屋の主の名前を呼ぶと、シャーリーはゆっくりとした足取りでベッドへと歩み寄る。サナダ班長――ディリーが入院している部屋は一人部屋になっており、この部屋の中にはディリー以外にはいないはずである。その為に、他に気を使う必要がないのは幸いな事だ。
「誰だ……? オレならば起きているが……その声は、ハウトか?」
 すると、ディリーは声を聞いただけで訪問者の事を当ててみせる。流石に部下の声ならば把握しているのだろうか。人一倍耳が良いディリーだからこそ、その足音や気配だけでその存在を判断出来るのかもしれない。
「良くお分かりになりましたね。シャーリー・ハウト、お見舞いに参りました」
 シャーリーは、ベッドに横になっているディリーに一礼すると、手にした見舞い籠をテーブルの上に置く。そして、身体も起き上がらせないディリーに視線を移す。ディリーの入院の理由は、視力低下によるものである。入院自体は先週したばかりなのだが、原因となった事件は言うまでもなく、一ヶ月程前の仕事中に負った怪我の所為だ。バイオガンで目をやられた為に、極度に視力が低下してしまい、普通の生活ですらままならぬ身体になってしまったのである。今は、いつも掛けているサングラスはしておらず、代わりに両目に眼帯のようにガーゼをつけている。
「お前が見舞いとは珍しいな。だが、そんな薄着で、お前は誰かを誘っているのか? 無防備過ぎるぞ」
 言われて、シャーリーは身体をビクつかせて驚いてみせる。ディリーは、未だにベッドに横になっているばかりか、両目にはガーゼをしている。ようするに、彼にはシャーリーの姿が見えないはずである。目をつぶったままで人の姿を確認出来るなど、まるで透視能力ではないか。そう思いながら、シャーリーは咄嗟に両胸を手で隠してみせる。
「プ、プライベートの事で指摘して欲しくないですよ。これでもわたしは、女なんですからね」
 意識的に胸を隠したのは、ディリーに本当に透視能力があるのだと思ったからである。だが、超能力者でもあるまいし、ディリーにそんな能力があると言う話は聞いた事がない。そこで、シャーリーはディリーに関する事で一つ思い出していた。ディリーは人よりも耳が良く、音や気配に敏感なのだ。恐らく、シャーリーが身体を動かした時に起きる、僅かな布の擦れ具合などで彼女の服装をある程度予測したのだろう。そうでなければ、本当にディリーに透視能力があるとしか思えない。
「どうせなら、プライベートもアサカ特佐官のようにしてみたらどうなんだ?」
 余計なお世話である。確かに、シャーリーはアサカの事を尊敬しているし、彼女のようになりたいと思っている。それ故に、仕事の時は出来る限り彼女と同じ様に振舞うために、常に似た格好をする事が多い。アサカは好んで白いズボンを履く事が多いため、仕事の時はどうしてもズボンを履かざるを得ない。加えて、女性らしい服は決して着る事はなく、プライベートの時までアサカの真似をしていたら、オシャレが出来ない。アサカがオシャレではないと言う訳ではないが、少なくても女性らしいオシャレをする姿を見た事がない。
「その……アサカ特佐官の事なんですが」
 その名を呼ばれて、シャーリーは言葉を濁した。数時間前にアサカと話した時の事が頭によぎる。彼女のあの寂しそうな表情。とても無念そうなあの表情。レンズ越しに見たアサカの表情は、今までに見せた事のない憂いをまとっていた気がする。決して部下には弱気なところを見せる事のないアサカが、唯一見せた憂いの表情だったのかもしれない。
「ん? どうした、そんなに落ち込んだ顔をして」
 相変わらずディリーはベッドに横になりながら話掛けて来る。既に、こちらを見なくても敏感に反応するディリーの事は気にならなかった。シャーリーは、後ろに束ねてヘアバンドでしばった金色の髪の毛を軽く触ってから、意を決したように口を開く。この男には、隠し事や嘘をついても、その空気を読み取ってそれを見破ってしまう事だろう。ならば、隠す意味もない。
「アサカ特佐官は、本日付けで異動になりました。何でも、F地区支部と言うところの配属だそうです」
 アサカから話を聞いた時には、にわか信じられなかった。今でも、その言葉は嘘だと信じたい。だが、それは紛れもない事実であり、明日から自分達の前にアサカが現れる事はない。シャーリーは、俯いてズレ落ちた丸メガネを直しながら、突然無言になったディリーに視線を向ける。両目にガーゼをつけている為に、あまりその表情を窺えないが、先程と変わった様子はない。ディリーがアサカに気があった事ぐらい、シャーリーとて知っている。同姓の自分ですら憧れるアサカを、異性であるディリーならば惚れていてもおかしくはない。普段のディリーの言動から察すれば、間違いない。
「F地区にB-Fogがあったのか? 確か、あの場所は山に囲まれた集落があるだけの、小さな地区のはずだ。あんな場所に支部を設ける必要があるのか?」
 シャーリーが無言で見つめていると、淡々とした口調でディリーが口を開いてそんな事を呟いた。アサカも同じ様な事を言っていたのを思い出しつつも、ディリーの反応に驚いてみせる。事もあろうか、ディリーはアサカの異動の事は全く触れずに、転属先であるF地区の事を疑問視したのだ。
「そもそも何だ、そんな小さい地区の支部に特佐官を配属する意味があるのか? 上層部は特佐官の存在意味を見誤っているとしか思えんな。そもそも、特佐官と言うのは――」
 そこまで言って、ディリーの言葉が途切れた。同じ様に、シャーリーもディリーの心境をようやく掴んでいた。アサカの事が気にならないのではない。わざと話を逸らして、受け入れられない現実から退避しようとしているのだ。
「あの、サナダ班長……」
 ディリーの言葉が途切れた原因は、シャーリーが話掛けてきたからだった。シャーリーの声はそれほど大きなものではなかったが、それでもディリーの言葉を途切れさせるのには十分な声だった。もしかしたら、ディリーはシャーリーに何かを言って話を途切れさせて欲しかったのかもしれない。
「わたし、アサカ特佐官と約束をしたんです。何年、何十年掛かっても、必ずI地区支部に戻ってきてくれるって約束したんです! だから……だから、アサカ特佐官が戻ってくる場所を、わたし達で、ずっと……そう、ずっと護っていきたいです」
 シャーリーのくっきりとした二重まぶたの瞳からは、大きな雫が流れ落ちていた。何度も、何度も落ちる雫は止まる事がなかった。俯いて、丸メガネがズレる事ですら気にならない程、シャーリーの瞳からは大量の涙が零れ落ちていた。
「護ってみせるさ。絶対に、オレたちでな。天国で見守っているダニエルのおやっさんやヘラーの分まで、な」
 先日の仕事中に生命を落としてしまった、ディリーのパートーナーであるダニエル・マディソンと、ディリーの部下であるフィック・ヘラーの二人の事も決して忘れてはならない。今まで当然の様にいた人物が突然いなくなってしまう悲しみは、シャーリーも身にしみるほど感じた。同じ過ちは、決して繰り返してはならないのだ。
「オレも一日でも早く治して、お前達のところに戻る。それまでは、お前とルーファスで支部を支えてやってくれ」
 ディリーの声は、相変わらず表情がなかった。だが、その言葉の中に彼の力強さを感じ取ったシャーリーは、ズレ落ちた丸メガネを直すと、顔を上げて大きく頷いてから、一言で返事をした。
「お待ちしています」
 と。

 B-Fog I地区支部とシャーリーの自宅の間にI地区総合病院が位置している。仕事帰りにディリーの入院している病院に立ち寄ったシャーリーは、病院をあとにして自宅に向かうはずだった。だが、今彼女は自宅とは正反対の方向へと向かっている。お気に入りの赤いオートカーを走らせながら、一直線に向かう場所は――言うまでもなく、B-Fog I地区支部のビルである。
涙を拭き取った所為か、目の周りの化粧が少しばかり剥がれてしまった事も気にせずに、迷う事なく仕事場へ向かうシャーリーの意思は、何か決意のようなものが浮かんでいた。自分のやるべき事の見つかった女性は、誰よりも強くなれる事が出来ると信じている。アサカが常にそうしていたのと同じ様に、シャーリーも自分のやるべき事が見つかったのだ。部下には決して弱音を見せる事のなかったアサカは、自分にとっての目標であり憧れ。
 彼女は強い意志を掲げて、B-Fog I地区支部ビルの駐車場へと赤いオートカーを滑らせたのだった――。

「あっちーな。何でこんなにあっちーんだよ。ホントにクーラー効いてるのかな? もっとヒヤヒヤって涼しくなんないのかよ」
 言いながら、自称『神風のウインド』こと、ウインド・ルーファスは窓際の壁に設置してあるエアコンに視線を向ける。いっその事、自分で神風を巻き起こして涼しくしたいぐらいな気持ちだったが、残念ながら本当に神風など起こせるはずもなく。
「こうなったら、バビュって近くのプールにでも遊びに行ってくるかな。って言っても、一人で行ってもつまんないしなぁ」
 一度だけ握り拳を作ったウインドだったが、すぐさま脱力したように身体をグッタリしてしまう。
今年の夏は、例年と比べると暑い期間が長引いている。ニュースでも特別番組を設けるほどのこの暑さは、異常気象を取り上げるにはもってこいのネタであると言えよう。そのお陰で視聴率が上がるかは別物としても、それ程までにこの暑さは人々に影響を及ぼしていると言う事だった。
「あーあ、こんな時には涼しい場所に行ける仕事とか入ると嬉しいよなぁ。そうすれば、こんな暑さなんてバビュって消え去るってなもんだよなぁ」
 B-Fog I地区支部の本部であるビルの3階は、彼らの執務室になっていた。普段、仕事がない時にはこの場所で書類の整理や情報収集を行うのが主な過ごし方。エアコンは効いているには効いているのだが、人よりも極度に暑がりなウインドにとっては、効いていないにも等しい。温度調整して設定温度を下げれば済む話なのだが、今のウインドの頭にはそんな単純な事ですら浮かんで来ないようである。そもそも、元々閃きに関しては疎いウインドが、それに気付く事はまず有り得ないだろう。
「ウインド、貴方いつもだらしないわね。男ならシャキッとしたらどうなの?」
 ウインドが一人ダレていると、いつの間にか執務室に入ってきていたシャーリーが声を掛けて来る。声がしてそちらに振り向くウインドは、突然目を輝かせてその場に立ち上がった。
「そうか! その手があったのか! シャーリー、お前偉い! 偉いよ! そうと決まれば、バビュっと服を脱ごう!」
 言うが早いか、ウインドは来ていたTシャツを脱ぎ捨てて、上半身だけ裸になってみせる。突然、ウインドが服を脱ぎ出したものだから、シャーリーは咄嗟に両手で自分の両目を覆ってみせる。
「きゃー、いきなり服脱がないでちょうだいよ! 貴方、変態なんじゃないの?」
 服を脱いだだけで変態呼ばわりされたら、たまったものではないが、シャーリーの言う事も一理あった。シャーリーの姿を見るや否、突然服を脱ぎ出したのだ。同僚とは言え、女性の前で突然服を脱ぎ出したのだから、変態呼ばわりされても仕方がないのかもしれない。
「いや、別にオレは変態じゃないぜ。オレはただ、暑いから服を脱いだだけだって。オレって頭良いだろ。お前が下着姿みたいなカッコしてるから、それでキュピーンって閃いた!」
 まるで自分の頭の上に電球か何かがあるかの様に、ウインドは頭の上をさして閃いたと言うような仕草をしてみせる。そんなウインドの言葉に、シャーリーが間髪入れずに反応してみせる。
「下着姿とは何よ。これのどこが下着姿なのよ。これは、キャミソールって言うのよ! 暑い夏には、ちょっとぐらい大胆になってみたいのが女の子なのよ!」
 言いながら必死に抗議するシャーリーは、子供そのものだった。普段はアサカを意識してか、出来る限り大人ぶっているシャーリーだが、そんな彼女もまだ22歳と言う年齢の為に、まだまだ大人とは呼ぶには早い年齢である。丸メガネ以外は、髪型や格好までアサカを意識している彼女だが、強気な表情は似合っていないと言うのがウインドの正直な気持ちだ。
「あ、いや、そんなに目くじら立てて怒らなくっても。オレもションボリ反省したからさ」
 年齢だけで言えば、シャーリーよりも二つも年上のウインドが、まるで年下扱いである。ウインドにとってシャーリーは苦手なタイプではないはずなのだが、彼女に逆らった記憶がほとんど残っていない。それだけ、シャーリーの怒った時はウインドが引き下がっていると言う事なのだろう。
「そんな事より、ボスはいないの? この時間にいないなんて珍しいわね。どこか出掛けた訳でもなさそうだけど……?」
 力の限り怒りをぶつけたシャーリーは、ずり落ちたメガネをうっとおしく思いながらも、執務室にウインドしかいない事を疑問に浮かべる。支部のメンバーが2名も殉職してしまい、班長は入院、特佐官は左遷と、ただでさえ人がいないと言うのに、ボスまでもが姿が見当たらないとなっては、この執務室も寂しい限りである。
「あぁ、ボスならちょっと前にバババッって出掛けたぜ。なんでも、迎えに行かなきゃいけない人が出来たって。デートか何かかな?」
 シャーリーに力の限り怒りをぶつけられたウインドは、余計に汗をかいてしまった為に、デスクの引き出しからうちわを取り出して扇いでみせる。加えて、デスクの脇に設置してある小型扇風機のスイッチにまで手を掛ける始末だ。これだけ冷えた部屋で、これ以上涼しさを求めてしまうあたり、ウインドの暑がりは相当のものと言えよう。
「あの人がデートってイメージないけど、迎えに行くって誰かしら? しかも、確かあの人オートカーの免許持ってないわよね? 一体何で迎えに行ったのかしら……」
 顎に手を当てながら考えるシャーリーだが、当然その場で答えが出る訳でもなく。ましてや、既にシャーリーから視線を外してしまっているウインドの口からその答えが出てくるはずもない。そんな事を考えながら、シャーリーは一人肩をすくませて溜め息を吐いた。
「それにしても、この部屋寒いわね……」


      

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