ミッション6『自然保護区』
第一回

 秋になると、山全体が紅葉を始める為、遠目から見ればまるで山が真っ赤に燃えている様に見える。決して珍しい風景ではないのだが、それでもL地区のそれと比べれば自然の量は圧倒的な差がある事は否めない。元々、都市計画が進行しているL地区と、あまり人の手が加えられておらず、自然が残るこのO地区とでは、その景色が雲泥の差なのだ。それを分かりきっていたとは言え、実際に足を運んで自分の目で見て空気を感じる事により、より一層自然の美しさを実感出来る。
「ふぅ、良い空気ですね」
 こうして大きく深呼吸をしてみても、鼻腔をくすぐる緑のにおいと、濁りのない澄んだ空気は格別な味がする。これが自然。これが節理。本来人間とは、こうした自然と戯れる事により、潤いをもたらされるのだ。これぞ、人間の真のあるべき姿に違いない。
「それにしても、ここの空気は美味しいですね。私が思うに、人間と言うのは本来、こう言った場所を求めて――って、聞いてますか?」
 気持ち良さそうに語るギュゼフだが、声を向けられた先の反応が感じられなかった為に、細い目をさらに細くして睨み付ける。だが、その視線の先にいる人物にはそんな視線はただの視線であり、何かを感じ取った様子はない。
「にしても、どうしてこうなっちまったんだ? オレ達は一体、ここに何しに来たってんだ」
 言いながらアドは、そもそもの発端を思い出していた――。

「やっぱり、秋って言ったら遠足だよね!」
 満面の笑みを浮かべながら言うのは、大きなポニーテイル真っ赤なリボンで結んだ少女――リスティ。彼女の少し垂れた瞳は、こうして笑みを浮かべると一段とその可愛らしさを引き立てている。
「さすがはアンちゃん。良い事を言いますね。秋と言えば遠足。遠足といえば自然を満喫、これが自然の摂理です」
 いつもリスティに賛成意見を出すのは、決まってショウかギュゼフのどちらかである。場合によってはどちらも賛成する事もあるが、どんな時でもアドだけは彼女の意見に賛成する事はない。そして今日もまた、触手の生えたL地区の班長は、彼女の意見に賛同するつもりはないようだった。
「あんな。何が悲しくて、この歳にもなって遠足なんてもんしなきゃなんねーんだっての。そんなん、行きたいヤツだけで行って来いってんだ。オレを誰だと思ってんだ」
 いつも通りにリスティへの冷たい言葉は、いつも通りに冴えている――つもりだった。しかし、そんな彼の周りには圧倒的に敵が多すぎる。いくら彼が反対意見を出したとしても、それに賛同するような意見を出す者はいないのだ。
「良いんじゃねぇかい? たまにゃ遠足なんてもの、楽しそうだ。ここは一つ、山に紅葉でも見に行こうじゃねぇかい。んでもって、山で遭難して、オレはリスティと二人っきりってシチュエーション、妙に萌えると思わねぇかい?」
 どこをどうしたら二人っきりと言う展開になるのか分からないが、リスティが山で遭難する可能性がないとは言い切れない。ただそれは、個人的に山に行った時に起きる可能性であって、ショウやギュゼフと一緒に行ったならば、遭難までに至る事はないだろう。そう願いたい。
「その、アンちゃんと二人きりと言うのは聞き捨てなりませんけど、紅葉を見に行くと言うのはなかなか良い意見だと思います。少し早い気がしないでもありませんが、季節的には悪くありません。この辺で紅葉を見に行くならば……虹零区なんてどうでしょうか?」
 虹零区とは、一般的にはレインボーレイクと呼ばれる自然が多い事で有名なO地区にある観光名所のひとつだ。七色の湖が存在する、比較的なだらかな斜面の山で、B-Fog内ではこの場所を『虹零区』と呼ぶのが常である。秋になれば山全体が紅葉して、まるで山火事を起こしている様に見えるのだが、それは見る物の心を圧倒させる事でも有名だ。
 斜面がなだらなか事もあってハイキングにはもってこいの場所であり、秋になると必ず観光客で賑わう場所だ。その為に、山道はしっかりと舗装もされているし、コースも危険な場所には作っていない為、ショウが期待した遭難する様な場所ではない。
「それは良い。キミ達がそれを望むのなら、今からでも行って来たらどうかね?」
 一体どこから現れたのか、声の主はいつものように腹を目いっぱいに前に突き出しながら頼りなさそうな足取りで一同の前に歩み寄って来る。毎回毎回、まるで盗み聞きをしているかのような彼の行動は、あまり気持ちが良いものではない。彼のふっくらとした外見も相まって、それをさらに悪化させている。
 B-Fog L地区支部のボスである彼の名前は、誰も知らない。そもそも、彼の名前に興味を示す者もいなければ、彼自身も自分の事を話そうとはしない。それが上手く調和される事によって、ボスの名前は今になっても謎のままだ。恐らく、これまでもそうであったように、これからもずっとこの状態が続く事であろう。何しろ、彼の名前を知る必要など、決してないのだから。
「あ、ボスー。良い所に来たねー」
 彼女自身も気づいていないのだろうが、今日も彼の事に何の疑問も持たずにボスと呼ぶリスティ。その輝いた表情は、先程ボスが口にした言葉に歓喜しているからに他ならない。
「あの。本当によろしいのでしょうか? 我々は、単に紅葉を見に行きたいと言っているだけなのですよ? それを、ボスともあろう方が、簡単に許可されてしまって」
 いつも以上に丁寧な言葉を使うギュゼフは、これはボスの前だからに過ぎない。一応、この支部で一番偉い人物に対しては、相手を敬う態度で接するのが本当の大人だと思っての行動である。たとえそれが、表面上だけの事であったとしても。
「別に良いじゃないか。その代わり、きちんと班長の言う事は聞くようにな。って事で、レオンブルーくん、あとは任せたぞ」
 ボスの予想外の振りにこの後アドは、大きく肩を竦めたのだった。

「やっぱり遠足って、わくわくするよねー」
 楽しそうにはしゃぎながら、リスティは先頭を歩いている。右手にはビニール袋を提げて、左手にはハンドポーチ、肩には水筒の紐までが下がっていた。服装は、リスティにしては珍しくパンツルックで、靴も歩きやすいようにスニーカーを履いているところだけは感心出来たが、それ以外の事に目を引くようなものは何もない。
「おう、その袋はなんでぇ?」
「あ、これー。もちろんお弁当だよん」
 わざわざ聞かなくても分かりそうな事を、わざわざ問い掛けるところはショウらしい。この後の話の展開の方を期待しての問い掛けだと言う事が、目に見えている。大方、彼女が持って来た弁当を食べたいとか言った展開に持ち込みたいのだろう。
「へぇ、リスティの弁当かい。そいつぁ、興味があるぜ。一体どんな弁当を持って来たんだ。良かったら、オレにも一口、食べさせてもらえねぇかい?」
 弁当を持参したのだからそれは手作りの弁当だと言う、ショウの頭の中にある方程式は、満更間違った発想ではない。普通ならば、そう言った発想になるのはごく一般的な考えである。だが、ショウがもう少しリスティの事を知っていたのならば、間違いなく今のような発言――いや、そもそもこう言った話の展開にはならなかっただろう。
「えっとね、持って来たのはサンドイッチとおにぎりだよ。ほら、あたしの大好きなジャストインタイムのたまごサンド!」
 そう言って、手に提げていたビニール袋から取り出したのは、袋で梱包されたサンドイッチだった。二つ入りのそのサンドイッチは、どこからどう見てもコンビニで売っているサンドイッチと瓜二つ。いや、コンビニに売っているサンドイッチそのものだった。
「って、ジャスタイのコンビニサンドかよ! けっ、そいつぁ、驚きじゃねぇかい」
 ショウは顔を引きつらせながらも、何とか平静を保とうとしているようだが、傍から見れば無理をしているようにしか見えない。ちなみに、ジャストインタイムと言うのは、今のコンビニ業界ではトップクラスの営業力を持っているコンビニの一つである。確か、リスティの家の近くにあった記憶がある。間違いなく、ここに来る前にそこで買って来た物に違いない。
「べ、弁当ってのは、手作りの事じゃなかったのかい?」
 両手をわななかせながらも、何とか平静を保ち続けているショウは、これまた何とか声を振り絞る。ショウの気持ちは分からないでもないが、リスティに手作り弁当を期待したところで無駄な事なのだ。
「えー、お弁当って言ったらコンビニで買うのが普通じゃないの? あたし、いっつもそうしてるけど、変なのかなー?」
 対するリスティはこの調子である。ショウが一生懸命に気持ちを抑えているのが可愛そうに思えてくる。
「あ、いや、おかしかねぇけど、料理とか作ったりしねぇのかい?」
 必死で声を絞り出すショウには、既にいつもの迫力はなかった。そして、次のリスティの言葉に完全に脱力をする事になる。
「えー、だってあたし、お料理出来ないもん。いっつもコンビニでお弁当買ってるんだ。ジャストインタイムのお弁当は種類が豊富で、いっつも新作が出るから飽きないんだよー」
 満面の笑みで応えるリスティだったが、この時既に問い掛けをした相手はその場にうずくまっており、話を聞いてはいなかった。
「お前は話にからまねーのか?」
 そんなリスティとショウのやり取りを後方から見ていたアドは、自分のすぐ横にいるギュゼフに話を振ってみる。いつもだったら、ショウと一緒にリスティの近くに寄って話題に入ろうとするはずなのだが、今日はどうかしてしまったのだろうか。
「いえ。私はそんな、ショウみたいに猛獣じゃありませんから。それに、アンちゃんが料理出来ないの、前から知ってるんで、ね」
 理由は二つあるようだったが、どのみちギュゼフがリスティの弁当話には興味がない事は間違いなかった。

「そう言えばアンちゃん、今日はスカートではないんですね?」
 先頭を歩くアドの背中から、自分の横にいるリスティに視線を送りながら問い掛けるギュゼフ。つい先程までは先頭を歩いていたショウは、いつの間にか最後尾を歩いている。理由は一つしかないのだが、いい加減立ち直って欲しいものである。
「え、あ、うん。ほら、湖に行くって言ってたから、足が汚れちゃうかなー、って思ったの。でも、これじゃパンツの裾も汚れちゃうよねー」
 言いながらリスティは、泥だらけの足元に視線を落としてみせる。それに習うようにギュゼフも視線を落とすと、確かに足元の地面が水気を帯びた土でグチャグチャになっている。ここに来るまでに三つの湖を発見したのだが、正直あまり観光地には向いていない場所のような気がしてならなかった。
 理由はいくつかあるのだが、一番の理由はこの足場の悪さが原因である。軽いハイキングコースになっていると言っていた割には、あまり道も整備されていないし、せっかく見せ場にしている湖もこのハイキングコースからでは良く見る事が出来ない。実際に近くで見たいのならば、少しコースを外れて草むらを抜けなければならない。ただその場合、草むらで足元が見えない為に、間違って湖に落ちてしまう可能性がないとも言えない。ようするに、観光名所と銘打っている割には、実際にはそう言った管理は全くなされていないと言う事だ。
「まぁ、アンちゃんの言う事も一理あるけど、泥で汚れた衣服はなかなか汚れが落ちないから、パンツよりもむしろスカートの方が良かったかもしれませんよ? その方が色々と嬉しいですし」
 前半の言葉は感心しても良かったのだが、後半の言葉は彼自身の願望に過ぎない。どうせならば、スカートよりもキュロットと言った意見を口にした方が、余程それらしい言葉だったと言えようか。
「そっかー。洗濯の事は全然考えてなかったなー。帰ったらクリーニング屋さんに出した方がいいかなー」
 顎に指を置きながら考えるリスティは、本気でその事を考えている仕草だった。生憎と、ショウと同じ部屋に住んでいるギュゼフの家には洗濯機がない為に、この後リスティに掛ける言葉が見当たらない。いくらなんでも、自分が洗濯をすると言う発言だけは口にしてはいけないような気がしたからだ。コインランドリーにしか世話になった事のない自分には。

 始めのうちは、ショウと一緒に先頭を軽快に歩いていたリスティだったが、気づいた時には中間を歩くギュゼフの横に位置していた。そしてそれから数十分後――即ち、今現在はと言うと――。
「ちょっとぉ、みんな早いよー。もうちょっとゆっくり歩かない?」
 そう言うリスティの後ろには誰もいない。つい先程まで横にいたはずのギュゼフも、いつの間にか前方にいる。さらに言うならば、ずっと無言で最後尾を歩いていたウエストですら、リスティの少し前を歩いている始末だ。
 レインボーレイクのハイキングコースに入った時は、あれだけ張り切って先頭を歩いていたリスティだったが、序盤から張り切り過ぎた所為か、それとも元々体力がない為に無理に張り切った所為か、どちらにしても中間地点に辿り着く前に体力の限界を迎えていた。
「いやはや、まさかここまで凄いとは思いませんでした。まだこんな場所が残ってる地区があるなんて、ちょっと嬉しいですね。やっぱり緑の中の自然は最高です」
 何でもなければ、ウエストの少し前を歩いているギュゼフならば、リスティに声を掛けて来たかもしれない。優しく手を指し伸ばしてくれたかもしれない。しかし、残念な事に、今のギュゼフにはリスティよりも大事な物を目の前にしてしまっている様子である。それは言わずと知れた、目の前に広がる大自然だった。自然愛好家で知られるギュゼフにとって、この360度自然に囲まれたレインボーレイクはまさに楽園とも呼べる場所なのではないだろうか。
「あんな、遠足は帰るまでが遠足って言葉知ってっか? んなとこでヘバってどうすんだ? お前の場合、帰るまで以前にの問題みてーだけどな」
 突っ掛かってきたのは、リスティが最も嫌いな相手――アドである。いつの間にか自分の目の前にまで接近していたアドは、いつものように大きく肩をすくませている。何かと自分に突っ掛かってくるアドは、リスティが唯一嫌いだと思える相手である。元々、人の好き嫌いを――特に嫌いを口にする事は少ないリスティだが、なぜかアドにだけははっきりと嫌いと思える行動を取るのだ。その理由はいくつかあるようなのだが、それを彼女の口から語られる事はないだろう。
「もぅ、なんでいっつもアドはあたしばっかりいじめるのー。あたし悪くないもん!」
 口をへの字に曲げて機嫌を損ねるリスティは、ほんの一瞬だけペースを速めてアドを追い越そうとするが、それに合わせてアドもペースを上げた為、実際には二人の差は先程と変わりはない。いつもならば、こんな時に自分を助けてくれるショウは、なぜかどこにも見当たらない。いつの間にか先頭を歩いていたはずだが、一人でかなり先まで行ってしまっているらしい。
「そいつは心外ってもんだな。オレがいつ、お前をいじめたってんだ。オレはいつも当たり前の警告をしてやってるだけで――」
 アドが再度、肩をすくませようとした時だった。アドの声を遮るような形で、突然大きな音が鳴り響いた。それは見事な程に耳障りな音であり、例外なく、その場にいた全員がその音に反応していた。先程まで自然と戯れていたギュゼフや、歩きながらずっと携帯型端末を見ていたウエストですら、歩みを止めて音のした方に視線を向けていた。それは即ち――。
「え、なに、もしかしてあたし?」
 鳴り響く騒音の原因を抱えている本人は、その自覚を持っていないらしく、相変わらずの呆けた表情で口を開けて疑問符を浮かべている。だが、この騒音の原因を察知したアド――いや、既にギュゼフとウエストも同じように察知している――は、周囲に視線を巡らせる。すると、ある一点で視線をとめる。ハイキングコースからは少し外れた草むらの中に、人影があった。一瞬、ショウが草むらにいるのかとも思ったのだが、当然そんな訳はない。この騒音の原因は間違いなく、その草むらの中にいる人影が原因である事が、一目瞭然だったからである。
「観光客って格好じゃねーな。バイオガンなんて持って、何もんだ!」
 あからさまに怪しい格好をした人影に向かって、アドは低い声で睨み付ける。人影の格好は、お世辞にも観光客には似つかわしくない姿をしていた。まるでサバイバルでも行っているかのような防弾ジャケットを羽織っており、ハイキングには不釣合いな厚手のブーツ。遠めの為、表情はあまり分からないが、体格からして男である事は察しがつく。そして、何よりもその人物が観光客ではないと言える決定的な物を携えている。そう。バイオガンである。ようするに、リスティが携帯しているバイオガン感知器が、この男の持っているバイオガンに反応したと言う訳だ。こんな時まで、音量を最大にしていたリスティが役に立ったと言う事だった。
「なろ。問答無用ってか!」
 アドの言葉に対し、男は無言でバイオガンを発砲すると、すぐさま背中を向けてその場から走りさって行く。
「待ちなさい!」
 わざと外したのか、それとも元々射撃が下手なのか、バイオガンの見えない弾道はアドやギュゼフのいる場所から少し離れた場所の木に命中する。発砲された銃弾の効力は不明だが、これだけ離れた場所で爆裂したところでこちらに影響が出る事もないだろう。それよりも、理由もなくバイオガンを持った人物がこんなハイキングコースにいるのは不自然である。どう考えても普通ではない状況に、その原因を突き止める為、アドとギュゼフはその男の後を追い掛けようとする。
「ちょっと待って下さい、お二人とも。バイオガンを持っている相手をむやみに追い掛けるのは危険です。ここはひとまず、そこにある小屋の中で話を聞く必要があると思いますよ」
 だが、突然ウエストに制止の声を掛けられた為、二人がほぼ同時に男を追い掛けるのをやめてしまう。確かにウエストの言う通り、バイオガンを持っている相手をむやみに追い掛けるのは危険な行為である。しかも、相手が一人とは限らない上、既に見失ってしまっているときたら、ここは深追いをしないのが懸命な判断だった。
「その小屋って……何があんだ? って、いや、オレは夢でも見てんのかもしんねーな」
「いえ。私は夢なんて見てませんし、何も見えませんよ。そんな、私は認めませんからね……」
 アドとギュゼフが交互に現実逃避をしようとしているが、それは間違いなく現実であり事実でもある。
目の前の小屋の扉の前には、木で出来た大きな看板が待ち構えていた。そして、その看板には大きな字ではっきりとこう書いてある。
『B−Fog O地区支部 本部』
と。

☆用語集☆
『地名関係』……O地区、レインボーレイク


      

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